昭和24年(1949年)富士市で創業
堀内電機製作所は昭和24年(1949年)、富士市で創業しました。
大手製紙工場の片隅にあるスイッチ一つを修理させていただいたことから我社の歴史が始まりました。
創業者 政市の丁寧な仕事ぶりはお客様の中で瞬く間に広まり、「あれやってみないか?」「これできないか?」というかたちで、分電盤や配電盤の製作へと仕事の領域を徐々に広げていきました。
昭和35年(1960年)には、6名で法人組織化。それまで自宅の一角を作業場としていましたが、現在の場所へ工場を新しく建設しました。
当時の日本は高度経済成長期の真っ只中であり、実質経済成長期率は年平均10%を超え、堀内電機製作所もこの流れに乗り、成長していきました。
順調に売上を伸ばし売上規模は9億に達する
時代は、高度成長期から安定成長期へ、そしてバブル期へと突入しました。
二代目の堀内 優(ほりうち まさる)は、1980年代~1990年代にかけて、これまでの製紙工場を中心とした営業から、旭化成富士工場、富士フィルム富士宮工場、日産富士工場へと、業種を越えて営業領域を拡大していきます。
2000年代に入ると、地上アナログ放送の停波に向け薄型液晶テレビへと移行していき、その需要もあり順調に売上を伸ばし、売上規模は最高9億円に達しました。
全員経営実現に向けた経営革新、
そして、新規取引先開拓が本格的にスタート
リーマンショックを皮切りに、全員経営実現に向けた経営革新が本格的にスタートします。
平成22年(2010年)、三代目社長 小林 隆幸(こばやし たかゆき)が就任し、“小さくても強い会社”を目指し、県外への営業強化をさらに推し進めます。
このころ社内では、“堅実で人を大切にする会社”を目指し、社員全員で考え、社員全員で決める場「朝会」を開始します。
「朝会」をとおして、一人ひとりが経営者意識を発揮するようになり、全員経営を実現。
これにより、業績の向上だけでなく、社員のやりがいも向上し、退職者はほとんど無く、社風が大きく変化していきました。
また、年間の取引先は80社を超えるほどにまで受注先の開拓にも成功しました。
IoT技術開発、さらなる営業エリア拡大、世界へ技術の還元
平成29年(2017年)、四代目社長 杉田 光徳(すぎた みつのり)が就任。
更なる経営改革を推し進めています。
IoT技術開発など新規分野への挑戦
納品した製品や既存製品などをインターネットにつなぎ、遠隔操作を可能にする案件のご相談、ご依頼が増加傾向にあるため、そのご要望に対応するために専任の技術者を常駐させています。
納入実績もすでにあり、今後も新規事業として積極的に取り組んで行く予定です。
営業エリア拡大
現在は静岡県内と神奈川県西部までの約70km圏内の受注が中心ですが、神奈川全域、東京、千葉へ営業エリアの拡大を図っています。
2019年より千葉出張所が始動しました。
世界へ技術の還元
発展著しいASEAN(東南アジア諸国連合)地域を中心に、自分たちの培った技術を伝え、還元する取り組みや、東南アジア地域からの人材雇用を行う活動をさらに加速させる予定です。
私たちは理念に基づき、無限なる人の可能性を生かしきり、無限なる電気の価値創造に挑戦し続け、社会に貢献して行く所存です。